僕は本当に、君の事を分かっていたのだろうか――――――――。
第2話【亀裂と決意】
今日は一族の関係者が集まる会議の日。
リオレイン一族の存続、今後の一族としての在り方、そして今受け継がれている魔術・魔法の在り方等、様々な事を話し合う。
そんな場にアーシェが同席しているのは、長としての仕事を見て学ぶ事も含め、彼女の発想がその会議を潤滑にする事が多いからだ。
「ねぇねぇ父様、“冒険者”って楽しいの?」
そんな中で、アーシェは父親のアーティルスの膝に乗りながら、冒険者について尋ねる。
彼女は父親の話す冒険譚が大好きで、何度も聞いている内に冒険者に憧れを抱くようになっていた。
『最初は下積みしないといけないし少しばかり大変だがな。でもな、辛い事ばかりじゃないぞ。
仲間が揃っていって、皆で依頼を受けて冒険…大変な事も多いが、こんな楽しい事他にはないぞ!』
「仲間と…冒険…!」
アーシェは目をキラキラと輝かせて父親の話を聞いている。
そしてアーシェは父親に向かって、こう言った。
「僕も父様みたいに冒険者になりたい!いや、なる!」
『!』
場の空気が変わり、一族の補佐官や分家の長、そして一族をサポートする者達の代表者達の視線が一斉にアーシェ達に向けられる。
『な、なりませぬぞアーシェ様!貴方はリオレイン一族の長となるべき方!不用意に一族の元を離れるような事、あってはなりませぬ!』
補佐官が声を上げる。他の者達も同様に頷き、ざわつく。
だがアーシェも、父のアーティルスも平然としており、それどころか笑みを浮かべている。
『そうか?私だって長になる前に冒険者をやっているぞ。それに、お前達が思っている程、冒険者と言う職業は野蛮じゃないぞ?』
『し、しかし…!』
『ずっとこうして一族の中に籠っているよりいいだろ?私だってそうだったんだ。
冒険者を通して様々な事を学べた。此処では学べない事を全てな。子どもの内だからこそ、色々な世界に触れさせるべきだと私は思うが、違うか?』
『ッ…!』
一同、アーティルスの言葉とその静かで強かな笑みに黙ってしまった。
リオレイン一族の現・長である彼に逆らう事は、彼等には出来ない。
「なっていいの?」
『ああいいぞ。でもちゃんと準備してからだからな。折角だし、あの子も誘ってみたらどうだ?』
「…!うん!早速いってくる!」
アーシェはアーティルスの膝から降りて、会議の場を飛び出して行った。
『あ、アーシェ様! …もう、長の貴方がそんな事でどうするんですか!』
『ははは!そういうなって!別にあの子は長にならないなんて言ってないだろ?
ちゃんと継ぐ意思があるならいつ長になろうといいじゃないか。それまで好きにやらせるのも一人の親としての務めだろう?』
『…まったく…!さあ、早く会議を進めますよ』
先程の事もあり、これ以上、この話題でアーティルスに敵わないのを悟って、補佐官は会議の続きを促した。
『冒険者に?』
「うん、そう!なってみたくない?」
いつもの場所で、アーシェは楽しそうに、ディアスに冒険者の話をしていた。
ディアスも、アーシェから冒険者の話を何度も聞いており、彼自身も父親からそういう話を聞いている。
冒険者というものに対して、ディアスも興味が無い訳ではない。
『…いや、まあ…お前となれたらいいだろうけど…そういうの許可取ったのか?』
「ちゃんと準備したらいいよって父様が言ったんだ!」
『…お前の親父さんらしいな』
ディアスはどこか呆れた感じの笑みを浮かべながら言った。
アーシェの父が冒険者の時の、様々なエピソードを聞いていたからか、それよりは驚きはしないが相変わらずだなと言った感じのようだ。
「そう言えばさ、妹さん元気?」
アーシェが思い出したように、ディアスに話を振った。
彼の妹が生まれてもうすぐ1年が経つ。二人も10歳になった。
ディアスの妹が生まれてから、アーシェも彼の妹の顔を見せてもらっていたので、気になったのだろう。
その話をした時、ディアスの顔からほんの一瞬、笑顔が消えた。が、すぐに取り繕うように笑みを浮かべて話し出した。
『…ああ、元気だぞ。生まれたばっかだってのに家の中動き回るもんで、俺も含めて母さんも父さんも大変だ』
「あはは、元気な妹さんだね。…あ、そうだ」
『?』
アーシェは思い出したかのように、ディアスにぎゅっと抱きついた。
突然の事に、ディアスは反応が一瞬遅れ、その後には目を見開いて顔を赤くした。
『なッ…!?アーシェ!い、いきなり何すんだよ!』
「甘えられない時には甘えて良いんだよーって前言ったでしょ?」
アーシェが、ディアスの妹が生まれる前に彼と交わした会話の事だ。
ディアスはそれを思い出し、赤くなってしまった頬が更に赤みを増した。
『だ、だから…そういうのは…お、俺の方からやるから…!』
「君、たまに意地張っちゃう時があるからね。今そんな気がしたもので」
『……うっさい、バカ』
「えへへー、ゴメンね」
アーシェは抱きつくのを止めて、ディアスを見つめる。
「無理しないでね?」
『…してねぇよ』
いつもなら見つめられたら恥ずかしがって顔を反らすディアスだが、今回は逸らさずにアーシェを見つめ返した。
しばらく互いに見つめ合った後に、ディアスは「あっ」と声を上げて何かを思い出した。
『そうだった…今日は早く戻らないといけねぇんだった。午後に父さんとの鍛練があるんだ』
「そっか、それは流石にサボれないね。じゃあ、また明日ね。ディアス」
『ああ、明日ならお前も俺も何も用事はない日だから大丈夫だしな。じゃあ、また明日な』
ディアスは一緒に座っていたアーシェの隣から立ち上がり、歩き出す。
その彼の後ろ姿を、少し間を置いて追いかけて、呼び止めるアーシェ。
「大好きだよ、ディアス」
心からの笑顔で、そう言った。
振り返ったディアスは一瞬、きょとんとした表情をしたが、次には少し顔を赤くして、
『……バーカ…』
そう言って、顔を反らして広場を去って行った。
その時アーシェに見えたディアスは、はにかんだ笑顔のように見えた。
広場には、アーシェだけが残り、紅葉した大樹の葉が風に揺れて地面へと舞い落ちていく。
「…えへへ♪」
しばらくしてアーシェも広場から出て、帰路へと着いた。
「明日またディアスと会うの、楽しみだなー」
「行ってきまーす!」
『あ、アーシェ。今日は…』
アーティルスは、朝早くに出かけようとするアーシェに何かを告げようとする。
「何もない日でしょ?だから早くディアスに会いに行くの!じゃあね父様!」
『…ああ、いってらっしゃい』
アーシェは父親の言葉を聞かずに、家を出て行った。
『……』
『どうしたの〜あなた?』
『シェリア……実はな、昨日―――――』
広場に来たアーシェ。今日は自身の鍛練も勉強も無い休みの日。
ディアスも今日は何も無い日だと言っていたので、アーシェは鼻歌を歌いながら、大樹の下で彼が来るのを待っていた。
しかし、昼の時間を過ぎても、ディアスはやって来なかった。
「遅いなーディアス…。それにいつも僕よりも先に居るはずなのにこの時間まで来ないなんて…」
アーシェは立ち上がり、広場とその周辺をキョロキョロと見回す。
生命感知の魔法も使ってみたが、彼の生命反応はこの周辺には感知できなかった。
つまりまだ、この広場の近くにも来ていない、または家を出ていない可能性すら出て来たのだ。
「変だなあ、反応がない…。何かあったのかな?急な用事でもできた?風邪引いちゃった?」
様々な不安がアーシェの中を駆け巡る。心配はない、と思っているのだが、やはり一度抱いた不安は完全には拭い切れない。
「…父様からは何も聞いてないし…すれ違ったら困るけど、一度ディアスの家に行ってみようかな」
そう思い、アーシェは広場を出て、ディアスの家へと行こうとした。その時、
『……アーシェ!』
「! 父様?何で此処に…?長の仕事は?」
アーシェの父・アーティルスが走って来ていた。余程急いで来たのか、少し息が上がっている。
『そんな事よりも…伝えなきゃいけない事があったんだよ。本当は朝に言いたかったんだがな』
「…?何の事……?」
見た事の無い、父の真剣な眼差しに、アーシェは先程抱いた不安が再び過ぎる。だがその不安は、別の形で現れた。
『昨日、アイツの妻…ディアス君の母君が、亡くなったんだ―――――』
「え……?―――――――」
ザァ、と強い一陣の風が吹いた。その風で落ちた内の、二枚の大樹の葉は、空へと舞い上がった。
ディアスの母親が亡くなった。だがそれは、突然の事ではないらしく、前から兆候があったようだ。
何でも、子どもを(この場合ディアスの妹に当たる)産む前から重い病を患っていたらしく、産めた事が奇跡だと言われていたらしい。
(知らなかった…。父様が聞いたところでは、ディアスのお母様は病気の事をあの子に隠していたみたいだ。一体、何で…)
訃報を聞いた日、ディアスの家へ行く事をアーシェは止めた。
あの時行ったとして、自分に何が出来るんだ、何が言えるんだと思って躊躇ってしまい、その日は自分の家へと帰った。
心は、ディアスに会いたい一心だった。傍に居たい、とずっと思っていてもそれが出来ない…そのもどかしさから、その日の夜はあまり眠れなかった。
「…ディアス……」
数日経った今でも、そう何度も呟くばかりだった。自分に何ができるのか、何が言えるのか、分からない。
前から病を患っていたとは言え、ディアスにとっては突然、最愛の家族の一人を失ったようにしか見えないし、そうとしか思えない。
その気持ちは、家族を失うという気持ちは、アーシェ自身には分からない。
(僕に、今のあの子へ何が言えるんだろう)
そんな気持ちで、一杯だった。
「…行ってきます」
アーシェは何と無しに、いつもの広場へと足を運んだ。アーティルスも、彼女のその行動を止めなかった。
ディアスが此処に居るとは思っていない。だけどそれでも、と少しの願望もあったかもしれない。
モヤモヤとした気持ちのまま、アーシェは顔を上げて、いつもの大樹の下へと視線を向けた。
「……!」
そこには、ディアスの姿があった。
大樹の根本へ顔を伏せて座り込んでいて、その表情は見えない。
「ディアス……!」
思わず声が漏れた。だがアーシェの気持ちは複雑だった。
今のディアスに、果たして自分は何が出来るのだろうか。
そういうアーシェの気持ちを察してか、アーティルスも数日、彼女を外へは出さなかったと言うのに。
『……!』
アーシェの声に反応したのか、肩をピクリとさせて、ゆっくりとディアスは顔を上げる。
彼の顔は涙痕があり、表情も以前のような強気な表情ではなくなり、どこか怯えた表情だ。当然と言えば当然の事ではあるのだが。
「…あ、あのさ…ディアス……」
言葉を探そうとするアーシェ。だが、上手く言葉にならない。見つからない。
『…何で、ここにいんだよ……』
ディアスが震える声で口を開いた。向けられた視線は、いつものように好意的な色は無い。
「その、僕は君に……」
『お前に何がわかるんだよ…!』
「ッ……!」
荒々しく放たれたディアスのその言葉に、アーシェは何も言い返せなかった。
ディアスはゆっくりと立ち上がり、アーシェを睨みつけながら言葉を続ける。
『お前に何がわかるんだよ!突然家族を失った俺の気持ちなんか…!
俺の…!俺の目の前で母さんが血を吐いて倒れて、その日に死んじまった!その時の俺の気持ちが、お前に分かるのか!?』
「…!ディアス……」
ディアスは今、溜まっていた悲しい気持ちを晴らしているだけ。こちらからはそうとしか見る事が出来ない。いや思うしかなかった。
『…お前、俺が甘えたい時はいつでもそうしろって言ってたよな…。何で、お前は居てくれなかったんだ…?』
「……!?」
そうだ。そう言っていた、思っていた筈なのに。
無理をしてでも、嫌われてでも、ディアスの元へ行くべきだったんだ。
いつものアーシェなら、出来ていたかもしれない。でも、それが出来なかった。怖かったのだ。
『無理だよな。俺だって、こんな俺をお前に見られたくなかったし、お前だって一族の務めが…』
「ディアス…!僕は本当は……」
『うるさいッ!!出来もしない事言いやがって!出来もしない事なら、最初から言うんじゃねぇよバカ!』
「ッ……!」
アーシェは、何も言い返せなかった。
互いに、しばしの沈黙が流れる。重い重い、その沈黙。
『……あッ…』
ハッとした表情になり、ディアスの顔から怒りの色が消える。そして、自分がアーシェに言った事を思い出し、青褪めた。
怒りと悲しみで、目の前にいるアーシェに酷い事を言ってしまった事に気づいたのだ。
『…あ、アーシェ……。お、俺……』
「…ディアス……?」
ディアスの身体は震えていた。顔も青褪めていて、アーシェの方を見ていない。
アーシェは恐る恐るだが、ディアスの顔へと手を触れようとした。その時、
『俺……俺は、お前に…酷い事、言って……』
「ディアス…」
『〜〜ッ…!う、ああああああああッ…!』
アーシェの手はディアスに触れる事なく、その手をすり抜けて、ディアスはアーシェを通り過ぎ、走り去っていった。
「わッ!ディアス!?」
彼の家がある方向へとディアスは全力で走り出し、あっという間に彼の姿は見えなくなってしまった。
突然の事だったので、アーシェも彼の後を追う事が出来なかった。広場には、彼女だけが残された。
「……ディアス…」
すぐに追いかける事が出来なかった。ディアスが言い放った事は全て、アーシェ自身が言われるのを恐れていた事だったからだ。
「僕は…本当に、君の事を分かっていたのかな……」
その問いに、答えは得られない。
だが今、自分がすべき事は理解した。アーシェは俯いた顔を上げる。
「…ディアス!」
彼を追わなければ。無理をしてでも、傍に居るべきだった。
自分に甘えてほしいからじゃない。
「僕は、どんな事があっても、君を……!」
アーシェはディアスを追って、走り出した。
彼を一人にしてはいけない。今追いかけなければ、傍に居なければ、もう会えない気がしたのだ。
「…泣いてる君を、放っておけるわけないだろ…!」
触れようとしたアーシェの手の甲には、小さく冷たい感触が残っていた。
雨は降っていない。大樹の葉に水が溜まっていて、彼女の手に落ちた訳でもない。だとしたらもう、その正体は一つしかない。
ディアスの涙だ。
アーシェはその手をギュッと力強く握り締め、走る。全力で走る。
大好きで、大切な、その人の隣へと急ぐ為に―――――――――――――。