第3話【想う心】

 

 

 

 

「…帰ってないんですか…?」

 

ディアスの家に辿り着いたアーシェを待っていたのは想定外の答えだった。

あの時飛び出すように家の方へと走り去っていったはずのディアスは、自分の家に帰っていなかった。

アーシェを迎えてくれたのは、ディアスの父親と、その腕に大切そうに抱えられた彼の幼い妹だった。

 

『私の方でも探しているんだがな…。それ程、遠くへは行ってない筈なんだがな…』

 

「そう、ですか…」

 

家に帰っていると思っていたが、予想は外れてしまった。

一刻も早く、ディアスの傍に行きたいと思っているのに。焦る気持ちと不安な思いが、アーシェの中を掻き回る。

 

『…あの子には、辛い事をしてしまった…。妻の病気を隠していたのを、責められてしまった』

 

ディアスの父親であるラディクは、幼い娘を抱えながら、酷く落ち込んだ様子で話した。

病を隠していた事は、やはりディアスにとっては許せることではなかったのだろう。だがそれは、アーシェにとっても疑問でもあった。

 

「…そういえば、どうしてディアスにその事を伝えなかったんですか?」

 

アーシェも、この話を聞いた時に疑問に思った事だ。

何故伝えなかったのか。そうすれば、悲しみは避けては通れないが、少しでも受け入れる覚悟が、ディアスにも出来た筈だ。

あんな風になるまで、悲しまずに済んだかもしれない。目の前で、母親が倒れるような場面に遭う事も無かった筈だ…。

 

『…アイツに、アスロットに黙っていてほしい、と言われてたんだ』

 

アスロットとは、ディアスの母親の名前だ。

何でも、二人の名前から “ディアス”という名前を付けたのだと言う。

 

「ディアスのお母様自身が…?」

 

『…ずっと此処で立ち話もアレだな…。あの子を探したい気持ちは痛い程察するが、少し上がってくれないかなアーシェ君』

 

「……はい…」

 

アーシェはディアスの家の居間の方へと促されるまま、入って行った。

 

 

 

 

「…それでその…ディアスのお母様が病の事をあの子に黙っていたのは何でなんですか?」

 

互いに向かい合うようにソファへと腰掛け、話を始める二人。

幼い娘は、お手伝いさんへと一旦預けたラディク。ゆっくりと彼は、口を開いた。

 

『アスロットは、あの子に何も知らないままでいてほしかったんだ。

あの子に、気を遣わせたくなかった。いつまでも、気丈な自分を見てほしかったんだ』

 

「…でもそれで、ディアスがあんなにも傷付いてしまって……」

 

『…分かっている。私もアスロットに“言わなければあの子がもっと傷付くだけだぞ”と言ったんだ。だが、それでも言おうとはしなかった。

その後、私にも病状の進行を伝えてはくれなかった。いつ倒れてしまうのか、私は毎日不安だった。そしてあの日、とうとう……』

 

「何故、言わなかったのですか…?」

 

『……これを見てほしい』

 

スッと差し出されたのは、少し大きな長方形の群青色のケース。

ラディクがそのケースを開いてアーシェに見せたのは、様々な色の石が煌めく首飾りだ。精霊の力が感じ取れる。中心の大きな石は深い赤色が一際輝いている。

 

「これは…精霊石?」

 

『そうだ。これはアスロットが生前身に着けていた“精霊の光”という首飾りだ。この首飾りに付いている石は全て、精霊の力が宿った精霊石なんだ』

 

ディアスの母は精霊術師で、ディアス自身も精霊に好かれる性質を持っている(実際に上位精霊のフェニックスに懐かれているし)。

アーシェの母親も精霊を扱う者だったので、彼女がこの首飾りから精霊力を感じ取れたのはその為だ。

 

『アスロットの家系に受け継がれていた精霊を扱う者としての印だ。…あの日アスロットはあの子に、ディアスにこれを渡そうとしていたんだ』

 

「…?どうしてですか?いつでも渡せたのではないんですか…?」

 

精霊と親しいディアスなら、彼の母親の血を確実に引いているだろうし、渡す条件も満たしている筈だ。

何故わざわざ、自身が亡くなる直前のその日まで“精霊の光”をディアスに渡さなかったのか。

 

『…これは、所有者が亡くなる前に渡すべき物だったんだ。精霊を扱う者がその子孫に直接渡さないと駄目なんだ。

そうする事で、この首飾りの効力を護って来た。そういう掟だった。邪な力や存在から子孫を守る力を。渡せなければその力は、弱くなってしまうんだ。』

 

「ではどうして…!」

 

アーシェは立ち上がって身を乗り出しながら、少し強い口調で言った。

 

『…アスロットは、知っていたんだ。もう、この首飾り…“精霊の光”に、その力がない事を』

 

「え…?」

 

驚き、眼を見開くアーシェに、ラディクは静かに“精霊の光”に視線を落とし、そっと触れる。

 

『いや正確に言うと完全に無くなった訳ではないんだ。だが、不完全になってしまったこの“精霊の光”を、掟に従ってまで渡すべきか。

子を守る力が弱くなってしまった物を渡していいのかどうかを、アスロットは悩んでいたんだ。病を患う前からずっと。

そして悩んだ末に……自分が死ぬまでずっと、自分自身の力でディアスを見守り、そして護っていくとも、そう決意したんだ。自分の力で守れなくて何が親なんだ、とな』

 

「……」

 

『…妻のそんな決意の前に、私はそれ以上何も言えなかった。死ぬ間際まで、妻は…アスロットは子ども達の事を護っていくんだ、と言っていた。

だが結局、あの子を傷付けてしまった…。私が責められても仕方のない事だ。無理してでも、言っていればあの子が余計に傷付く事も無かったのに…。

…私が、夫として、父親として、妻と子どもを支えないといけなかったのに…妻もあの子も…一人で抱え込ませてしまった……情けないよ…』

 

アーシェの視線は、ラディクと同じように目の前の“精霊の光”へと落としている。

そして、ラディクにこう尋ねた。

 

「…ラディクさん…ディアスのお父様…これ、持って行っていいですか?」

 

『……?アーシェ君…?』

 

「僕がディアスに、渡してきます」

 

アーシェは“精霊の光”が入ったケースを閉じたかと思うと、そのケースを手に取り、左脇に大事そうに抱えた。

 

『そ、それは…!君が渡しても“精霊の光”の力は…』

 

「その力が無くなったって!ディアスのお母様の想いや決意の力は、この首飾りに込められているはずです!あの子を守る力が!

それをディアスに伝えたいんです!あの子は…そのお母様の想いを知らないんです!あの子は自分を責めてるように見えました!だから伝えなきゃ、駄目なんです!」

 

『…!』

 

「あとディアスのお父様、貴方は情けなくなんかないです。ディアスもきっと貴方の想いを伝えれば、分かってくれるはずです」

 

ラディクが止めようと立ち上がるのも待たずに、アーシェは“精霊の光”を持って、ディアスの家を飛び出して行った。

 

『アーシェ君!』

 

ラディクが声を上げながら玄関へと出た頃には、アーシェの姿はもう見えなくなっていた。

 

『……アーシェ君…。そこまで…あの子を…ディアスの事を……』

 

ラディクは一つ、溜め息を吐いた。

 

『…こんなんじゃ駄目だよな。アイツに…アーティルスに説教されちまう』

 

そう呟いた後、ラディクも家を出た。アーシェとは違う方法で、ディアスを探す事にした。

 

 

 

 

 

 

「間違いなくあの子は、自分の家の方へ走っていった。でも家には居なかった。

…ならそれよりもずっとその先に、行ったんだ。そうなると確かこっちには……」

 

以前、ディアスと彼の母親に連れられて入った場所がある。ディアスの家から少し西に存在する森がある。

普通の森ではなく、そこは精霊が集う森だった。森にはあの広場にあるような大樹が何本も生えていて、その傍にある泉や花畑には精霊や妖精が集う。

 

「ディアスは、もしかしたらそこに…。……!」

 

 

森へはまだ距離があるその道中で、アーシェはふと地面に落ちている物を見やる。

走っていた足を止めてそれを拾い上げる。

 

「これは…ディアスが連れている精霊の…羽根?それに何枚も……」

 

拾い上げたのはディアスが連れている精霊・フェニアの羽根だった。

見てみると、アーシェが行こうとしている方向に何枚も落ちている。まるで誰かに居場所を知らせる為のように。

 

「もしかして……!」

 

アーシェはその羽根を辿るようにして、精霊の集う森の中へと入って行った。

日は既に落ちていて、深い夜になっていた。だが、そんな事を彼女は気にせずに、走っていく。

 

 

 

 

 

 

「…ディアスー!ディアスー!」

 

森に入ってからしばらく経ち、アーシェはディアスの名を呼び続ける。

此処まで落ちていたフェニアの羽根も無くなっていた為、自分が覚えている限りの泉や大樹の位置を探りながら、ディアスを探していた。

 

生命感知は、この精霊の森に入ってから使う事が出来ない。精霊の力が働いている為なのかもしれない。

もしかすると、また別の何かが邪魔をしていて、それで使えないのかもしれないが…。

ただアーシェにとっては、その生命感知の魔法を発動させる時間すらも惜しいだけなのかもしれない。

 

 

「ディアス…どこに……」

 

 

 

 

―――――――ゾワリ。

 

 

 

「…!?」

 

突如、アーシェの背筋に冷たいものが這い登ってきた。

それは、水や光の精霊の様に感じられる優しさは無い。生者ではない“何か”。生物であったとしてもこれ程に邪な気配をアーシェは感じた事が無い。

 

「亡霊やゴーストの類の存在がこの森に…?」

 

ざわつくアーシェの心。何故そんな存在がこの精霊が集う森に来たのか、というものよりも、ディアスの安否の方が先に浮かんだ。

 

「気配がしたのは、ここから北の方…。確か泉…水場がある場所だ。

 

フェニアが付いているとは言え、今は夜。闇の精霊以外は力が弱まると聞いた。その上、この悍ましい気配だ。

 

 

 

「ディアス…!」

 

 

アーシェは、気配がした北の方へと急いで駆けて行った。

 

 

 

 

 

 

嫌な気配が、前に進む度に強くなる。

早く、早くディアスの元へいかないと…そう思っていた時、前から何かが飛んで来た。

 

「…!フェニア!?」

 

前から飛んで来たのはディアスがいつも連れている精霊のフェニアだ。

フェニックスなので火の身体に鳥のような見た目をしている。ピーピーと鳴きながら、アーシェの胸元へと飛び込んできた。

 

「フェニア、どうしたの?ディアスは?…ディアスに何かあったの?」

 

アーシェの言葉にフェニアは何度も首を縦に振る。そして羽を広げて、ディアスが居るであろう方向を指している。

フェニアのその様子から、どうやらアーシェが想定していた中で、一番最悪の予感が当たろうとしている。

 

「……ディアス…!」

 

“精霊の光”が入ったケースを抱え直し、フェニアは自分の肩に乗せて、アーシェは走った。

 

 

 

 

「…! ディアス!」

 

走って来た先に、真っ先に視界に飛び込んできたのは、ディアスだ。

だがそんな彼の近くに居たのは、おおよそこの精霊達の集う森には相容れぬ存在だった。

 

 

「……レイス!?」

 

レイス。それは不死生物の一つだ。

魔法使いが自らの魂を操る術に失敗し、分離させた元の肉体に帰れなくなった時に生まれるとも言われている。

生前の知識や記憶がある個体が多い。だが一部にはそれらと理性を失い、襲い掛かってくる。不死生物の中では手強く厄介な存在だ。

 

そのレイスの顔は、アーシェが見た事ある者の顔だった。

 

「……!?お前…前に僕に負けた奴……!?」

 

『……』

 

そのレイスの正体は、去年“闘技の間”でアーシェに負けたあの男だった。

彼は本家の血筋ではない者。負ければ努力あるのみ、諦めれば終わりの世界で、どこで道を間違え、レイスになってしまったのか。

 

「何でお前がここにいるんだよ!ディアスから離れろ!」

 

レイスは強力な魔法を使う事もある。加えて相手の生命を奪い取る“死の接触”がある。

迂闊に近づけば自分もだが、何よりディアスの身が危険だ。一番、レイスに近い距離に居る。

 

だが彼は、逃げようとしない。恐怖で動けないのだろうか?それにしては身体が震えていない。

よく見たら、彼の眼は虚ろで表情も生気が感じられない。その虚ろな目で、レイスの方へと視線を固定されているように動かないでいるのだ。

 

「ディアス!そこに居たら駄目だ!離れて!」

 

『無駄ダ』

 

不快な声音がアーシェの耳へ入って来る。レイスの声だ。

 

『ソイツニオ前ノ声ハ届カナイ。』

 

「…?どういう意味なんだよ…!?」

 

アーシェは強気にレイスを睨みつける。怯えるフェニアに安心させるように、顔に手をそっと置きながら。

 

 

『俺ノ姿ハコイツニハ、コウ見エテイルカラナ…!』

 

「…? ……なッ…!?」

 

そう言ってレイスが見せたのは、ディアスの母親の姿だった。

ディアスにはレイスがこの姿に見えている。

恐らく、彼に襲い掛かった時、獲物に逃げられるのを避ける為に心を読み、この姿に化けたのだろう。

 

今ディアスが、最も欲しているであろう存在に。

 

『コイツノ母親ガ死ンダンダナ。心ヲ覗イタラソイツノコトバカリデ、化ケタラ見事ニ術ニ嵌ッタヨ!トンダ甘チャンダヨコイツハ!

 

 

ディアスの母親の姿で、ハハハと高笑いをするレイス。アーシェにはもう、怒りしか湧いてこなかった。

怒りで握り締めた手が震える。何も、分かっていない癖にと、彼女はレイスへと殺意を込めて睨みつけた。

 

「…いい加減にしろよ…!」

 

相手が即死攻撃を持つ不死の生物だろうと知った事か。ディアスを、大切な人を馬鹿にされて黙っていられるアーシェではない。

 

「お前にディアスの何が分かるって言うんだよ!どんな想いでその子が…ディアスが母親を欲してたのか、お前に分かるとでも言うの!?

突然目の前で倒れ、そして死んでしまったんだ!ディアスはその事を自分のせいだと思ってしまっているんだよ!お前みたいな半端者が、ディアスを笑うな!」

 

アーシェは怒りをレイスへぶつける。

勿論、こんな事でレイスがディアスへの術を解くわけではない事は分かっているし、消える事は無い事は分かっている。

分かっていても、ディアスを馬鹿にされた怒りを抑えられなかった。

 

『オ前ノ方コソ、コイツトハ他人ダロウ?何故ソウダト分カル?』

 

「確かに僕もあの子とは他人だ。だけど僕はお前なんかより遥かに分かってるつもりだよ、ディアスの事は。あの子は優しい。自分よりも他の人を優先する。

だけど自分が傷付いている時や、落ち込んだりしている時は意地を張ってそれを見せない。だからこそ、誰かが傍に居なければいけないんだ…!」

 

(そう、そうだ。誓ったんだ。ディアスの、大切な人の傍に居るって)

 

アーシェは目を閉じ、一つ息を大きく吐いた後、もう一度レイスを見据える。

 

「僕に勝てないからって未練がましい事するもんだね君は。そんなだから、一番になれなかったんだよ」

 

『ッ……!? 何ダト…!?

 

レイスは生前の能力と、記憶が残っている事がある。ならばアーシェに負けた事も覚えているだろう。

そこを突いて刺激すれば、ディアスから引き離せるし術も解けるだろうとアーシェは考えた。

 

理性を失っている個体だとしたら、あれだけ流暢に話せる筈がない。其処にアーシェは賭けたのだ。

 

『…不死ノ存在ニナッタ俺ヲマダ馬鹿ニスルノカ…! オ前カラ、殺シテヤル…!』

 

(かかった…!)

 

標的がアーシェの方に変わった。ディアスは術から解かれ、正気に戻った彼は周りを見回す。そしてアーシェの存在に気付いた。

 

『ッ…!?アーシェ!逃げろ!!』

 

 

ディアスが叫ぶ。レイスはその声を聴きもせず、アーシェに向かって飛んでいく。

レイスに物理的な攻撃は効かない。アーシェの使える魔法や魔術で戦う事も出来る。だが、此処ではディアスを巻き込む恐れがある。

倒すのだとしたら、陽の光を浴びさせるか、それに等しい聖なる力で消すしかない。

 

 

(…ディアスのお母様。どうか僕に、アイツを倒す力を……!)

 

アーシェは持ち出したケースから“精霊の光”を取り出した。

そしてそれをレイスの目の前へ掲げる。

 

 

「穢れし者よ、この世から消え去れ!」

 

 

アーシェの言葉に呼応するかのように“精霊の光”が輝き出した。フェニアも共鳴するように光り出す。

その光は、太陽の光にも似た、亡者達を消し去る、浄化の光。その光が、レイスを包み込んでいく。

 

 

『ッ…!?コノ、光……太陽…!?…ク、クソガキガアアアァァアア…ア………!―――――――』

 

 

 

アーシェの眼前にまで手を伸ばしていたレイスは、蒸発するように夜の闇の中に消えた。邪な気配は消え去った。

その場には、アーシェとディアスが残った。ディアスは目の前の突然の出来事に、少し放心しているようだ。

 

アーシェの肩に乗っていたフェニアが、ディアスの元へと飛んでいき、彼の肩へと止まる。

フェニアが彼の頬にスリスリと顔を擦り付ける。いつものフェニアの仕草に少し落ち着いたのか、アーシェに向かってゆっくりと話し掛ける。

 

『…アーシェ…。どうして、ここに……』

 

まだ少し、遠慮がちな声色だ。昼間にアーシェに言ってしまった事を気にしているのだろう。

アーシェは息を一つ吐いて、その彼の問いに答える。

 

「…君が勝手に居なくなるからでしょ。居るならきっと、あそこ以外ならここしかないと思ったから」

 

『…ゴメン…。俺、お前にあんな事……』

 

「もう気にしてないよ。むしろありがとう。お蔭で僕も決意できたんだから。それにほら、これを君に渡したくて…」

 

恐怖から座り込んでいたディアスに、“精霊の光”を差し出す。先程の光は消えて、精霊石の輝きは夜に紛れて見えづらくなっている。

 

『これは…母さんが身に着けてた…』

 

「この精霊石の首飾り、本来の力がほとんど失われているようなんだ。子孫を邪悪な存在から護る力が。だから君のお母様は躊躇った。でもそれで決意した。

君を、自分の力で守ろうと。守れなくて何が親だって。病気を隠していたのだって、君のせいじゃない。

君を見守り、そして護ろうとした君のお母様の気持ち…分かってほしい」

 

『ッ…!』

 

ディアスは“精霊の光”にそっと触れ、そしてそれをアーシェから受け取り、ギュッと両手で大事そうに抱えた。

力が無くなったって、ディアスの母親の想いが消える事はない。子を想う心を伝えるだけでも、良かったのだ。

 

ディアスの様子を見て、アーシェも安心したようにフッと笑みを浮かべる。そして、こう続けた。

 

 

「それにね、僕も誓ったんだ。君の事をずっと大切にするって。何が何でも、君の傍に居るって。今度は言葉だけじゃない。絶対に、君を守るから」

 

アーシェは静かに手を差し伸べる。彼女の表情はいつもの明るい、太陽のようだった。

 

「君に何言われたって、僕は君の隣に居るからね!君が甘えたい時は、甘えて良いんだよ!」

 

笑顔と共に放たれたアーシェのその言葉に、ディアスの目からは涙が一粒、ハラリと零れた。

 

 

『…今度は、本当…か?』

 

「当たり前だよ!僕は君が大好きなんだ!もう君から離れてやるもんかってんだ!何なら今甘えたって良いんだよ?」

 

アーシェは胸を張りながら、以前と変わらぬ…否、今迄以上にディアスへの好意を全開でそう話した。

彼女の丸く大きな、赤と薄紅色の瞳で彼をじっと、そして真っ直ぐディアスを見つめる。

 

『…ッ!バーカ……!』

 

ディアスは、アーシェの手を取り、静かに立ち上がる。その時の彼の表情は、泣きながらも、心の底から笑っているように見えた。

 

 

『…ありがとう、アーシェ』

 

「…えへへ…。どういたしまして♪」

 

ディアスはアーシェの手を優しく強く、握り締める。

笑っているが、ディアスの目からは涙が溢れている。流れ出る涙の一粒一粒が月の光に照らされ、星のように輝いて見えた。悲しみだけの涙ではない。

アーシェもその事を察しているのか、彼の涙を無理に拭おうとはしなかった。

 

 

『もう少し…こうしてていいか?』

 

「…いいよ」

 

アーシェはディアスの手を、もう片方の空いた手でそっと包んだ。

見つめ合う二人。そして、言葉は交わさずとも、互いに心が分かっているかのように、どちらからともなく笑い合った。

 

 

サァ…と、優しい風が吹く。

ディアスの手にある“精霊の光”が静かに風に揺れ、月明かりに仄かに光り輝く。

 

 

月が、精霊が、森が、二人を見守っていた。

 

 

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