あの夜が明けて、アーシェとディアスは家へと帰った。

帰って来たのは朝。怒られるのを覚悟していたが、待っていた家族に優しく迎えられた為、二人のその覚悟は霧散するが如く消え去った。

 

 

 

その日から、数週間。季節は移ろい、冬の色。

二人はいつもの広場の、大樹の下に座っていた。葉の落ちた樹の枝には、雪が積もる。

少しずつ戻って行く、いつもの日常。

 

 

 

第4話【雪に咲く、恋の花】

 

 

 

 

「父様や母様には怒られなかったけど、他の連中がうるさくてさー。参ったよ。あはは」

 

『いや、それ大丈夫なのかよ後々…?』

 

「平気平気。その翌日の会議でそいつら言い負かしたから」

 

何故か誇らしげな顔で話すアーシェに、ディアスは少し苦笑いだ。

 

『…やっぱお前って色々凄いよな…』

 

そんなディアスを見て、アーシェは首を傾げながら彼の首の辺りをツンツンと突く。

 

 

「あの首飾り、付けないの?」

 

ディアスはあの時渡した“精霊の光”を付けていない。

微弱にはなったものの、精霊の力が宿っている物であり、そして、母親の想いが込められた首飾りだ。

彼が身に着けていても、もう問題ない筈だが…。

 

『…あれは、もう少し後にしようかと思ってんだ』

 

「どうして?」

 

ディアスは少し考えてから、こう話した。

 

『…俺は母さんみたいにまだ、強い意志や想いってのが定まってない気がしてな。

誰かに言われるでもない、俺自身でちゃんと見つけたいから。…だからまだ、付けない』

 

「…そういうのも君の意志だと思うよ…って言っても聞かないか。君、意地っ張りだし」

 

『うっせぇな。…まあいいや、そんな訳で俺にはまだ早いと思っただけだ』

 

「君らしいね」

 

白い息を一つ、アーシェは吐き出した。そして何か思い出したように、ディアスに再び話し掛ける。

 

 

「じゃあさ、あれは君の意思って事で良いよね?」

 

『?何の事だ?』

 

「いやほらさ、冒険者にならないかって僕が言った時に、“お前となれたらいいだろうけど…”って言ってた事」

 

前にディアスが言った事だ。アーシェはちゃんと覚えていた。

 

『覚えたか…。それについては別に訂正するつもりはねぇよ。お前とやれたら何でも楽しそうだし』

 

「あははー、僕も君が居れば何でも楽しいよ。こういうお話するだけでも、君と居れて嬉しいし」

 

 

そう言いながら、アーシェはディアスの手を握る。

 

「こうすればもっとあったかくて、幸せ♪」

 

えへへと笑うアーシェに、ディアスは少し頬を赤くして顔を反らす。

 

『ッ…!…お前はまた、そういう事平気で……』

 

「平気じゃ、ないよ」

 

先程の明るく元気な声から変わり、アーシェの声はいつもと違い、少し低く聞こえた。

 

「君に想いを伝える事、僕はいつも全力だよ。僕だって緊張はするさ、見えてないだけだよ。

君が好きだから、毎日ドキドキしてるよ。…触って確かめてみる?」

 

アーシェは握っていたディアスの手を離し、両手で包むように掴む。そしてその手を自分の胸へと押し当てようと引っ張る。

ディアスは慌ててその手を空いた手で必死で止める。年頃故か、アーシェの、女の子の身体をこうして触る事が恥ずかしいのだろう。

 

『まッ…、待て待て!バカ!そういうのやめろって!分かったから、お前の気持ちは!』

 

ディアスのその言葉を聞いて、パッと手を離すアーシェ。だが離したと思ったのも束の間、彼女はすぐに身体を前のめりにして彼に詰め寄る。

 

「ほんと?じゃあ返事、返事聞かせて!いつも僕が言ってばかりでさ、君からの返事をまだ全然聞いてないもん!ねぇねぇ!」

 

『お、おい!?そんなにグイグイ来るな寄るな!近い!近いっての!つーか緊張するんじゃねぇのか!』

 

「いつもこれくらい近いじゃないさ。今更だよー」

 

アーシェは、想いを言葉にして伝えるのは緊張するが、こうした行動に関しては躊躇いが一切ない。

想いを言葉で伝えるよりも先に行動としてそれが現れるようだ。

 

「で、どうなの?ねぇねぇー、ディアスー♪」」

 

からかうような無邪気な笑顔で、アーシェは腕も絡めて来た。互いの距離も顔も、近い。

 

『〜〜〜ッ…!』

 

ディアスは色々と耐え切れなくなってしまったのか、掴んできたアーシェの手と腕を離し、彼女の両肩に掴む。

そしてその大きな金色の瞳でアーシェを真っ直ぐに見つめる。

 

 

 

『好きだよ!お前の事が!悪いかよバカッ!!』

 

「……!」

 

『俺はお前みたいに素直に何でも言えねぇし、出来ねぇけど…!俺だって…お前が好きだよ!ずっと、前から……!』

 

 

そこまで言ってディアスはハッとした表情になり、固まった。

アーシェの方も表情はあまり変わらないものの、目を見開いて、黙っていた。両者しばしの沈黙が流れる。

 

「…それが、君の返事かい?」

 

『〜〜!!』

 

最初に沈黙を破ったのはアーシェ。彼女の言葉に、ディアスはたちまち耳まで赤くした。

勢いで告白してしまった事に、今になって恥ずかしさの波が押し寄せて来たのだろう。彼の開いた口が塞がらないままだ。

 

 

 

「……ありがとう。僕も、君が好きだよ」

 

アーシェはディアスの赤くなった頬に優しく触れる。

アーシェの手に伝わって来るディアスの熱。彼女にとっては何よりも、温かい。

 

『…こんな風に言うつもりじゃなかったのに……』

 

アーシェの肩から手を離し、ディアスは震えた声でそう言いながら真っ赤になった顔を反らす。

でもアーシェに添えられた手は、しっかりと触れたままだ。

 

「取り消す、なんて無しだよ?」

 

悪戯っぽい笑みで、アーシェはディアスを見つめる。

 

『…!…誰が取り消すかよ、バーカ……!』

 

 

互いに笑い合った後、どちらからともなく、互いに抱きしめ合った。

 

 

ただの幼馴染から、恋人になった瞬間。

この瞬間を、二人は絶対に忘れないだろう。

 

 

「ねぇねぇ、ちゅーしようよちゅー♪」

 

そう言いながらアーシェはディアスに顔を近づけていく。

ディアスは慌てて自分の口の前を手で防いだ。

 

『いやいやちょっと待て!早過ぎだろ!』

 

「早くない!むしろ遅いくらいだよ!前から僕は君とこうしたかったの!恋人になれたんだからするのー!」

 

『俺の意思は!?』

 

ディアスの、その阻んだ手をアーシェは掴んで退ける。

 

『だ、だから…ちょっと待ッ……〜〜!!』

 

覚悟を決めたのか、ディアスは思いきり目を瞑ってアーシェがキスするのを待つ。

その時間が、途轍もなく長く感じられた。

 

 

互いの息がかかる、そんな距離。互いの唇が触れ合いそうになる。

 

 

と、その時

 

 

『わわっとー!?』

 

二人が居る大樹の裏から、誰かの声が上がり、盛大に転んだ音が聞こえて来た。ドサドサと後ろで、大樹に積もった雪が落ちる音も聞こえた。

 

もうキスをする寸前でこれである。アーシェは邪魔されたとむくれっ面だ。

が、それと同時にその正体が気になった。彼女にとって、とても聞き覚えのある声だったからだ。

 

ディアスに「ちょっと待ってて」と大樹の裏を覗き込むアーシェ(キスは諦めてない模様)。するとそこにはよく見知った顔ぶれが。

その顔ぶれを見た瞬間、アーシェが冷めた視線を送る。

 

「ちょっと…何してるの父様?それと…ディアスのお父様?」

 

『え!と、父さん!?』

 

アーシェの言葉にディアスも彼女と同じように覗き込む。

確かにそこには、盛大にスっ転んだであろうアーシェの父親・アーティルス。そしてアーティルスを腕を引っ張って起こそうとするディアスの父親・ラディクが居た。

気まずい雰囲気が、アーシェ達とアーティルス達の間に生まれる。

 

『いやその…アーシェ達が朝に帰って来た日に、何かあったんじゃないかなーって思って…』

 

『わ、私はその…アーティルスを止めようとしたら無理に付き合わされて…』

 

ラディクはアーティルスを起こした後、その場から離れようとする。だがアーティルスが彼の腕を縋り付くように掴み、それを止める。

 

『お前だってディアス君とうちのアーシェが今どんな雰囲気だか気になってただろうが。ていうか今この場で私を一人にするな、気まずいだろ!』

 

『離せ!お前が仕事サボってまで後を付けるとか言わなければよかっただけだろ!』

 

ギャーギャーと言い争いを始める二人の父親達。

ディアスはそれを止めて良いものか分からず、困惑した表情だ。ディアスはちらりとアーシェの方を見やる。そして驚き目を見開いた。

アーシェが今までに見た事の無い表情をしていたからだ。

 

「そういうのいいから」

 

両掌を、父親達に向けるアーシェ。そして素早く何かを唱えたと思うと、アーティルスの足下に魔法陣が浮かび上がる。

 

「父様はさっさと仕事に戻れー!!」

 

『わー!?』

 

アーシェが叫んだ後、アーティルスの姿が轟音と共に上がった煙と一緒に消えた。アーティルスの周りに積もっていた雪も、一緒に吹き消えていた。

帰還の法、と言う名の強制転移(ワープ)魔法だろうか。

 

父親を躊躇いなく強制転移させたアーシェの顔は、先程の鬼神のような表情から、いつもの明るい笑顔に戻っていた。

 

「あ、ディアスのお父様も早くお帰りになられてくださいね♪」

 

『あ、ああ…そうさせてもらうよ…ははは……』

 

アーシェは笑顔ではあるが、早くこの場を去らねば、あの表情でアーティルスと同じ事をされるのだろう。

ラディクは内心そう思い、ぎこちない笑みを浮かべながら、広場を脱兎の如く去って行った。

 

広場には再び、アーシェとディアスだけになった。

 

 

 

「まったくもう!良い所だったのに!」

 

『…お前、本当に凄ぇな…』

 

いくら身内であり、傷付かない魔法だろうとも、あそこまで躊躇いもなく自分の父親を吹き飛ばすようにワープさせるという事が出来るだろうか…?

 

 

「という事で、続きしよう続き」

 

『は!?ま、待て!切り替え早過ぎるだろお前!』

 

アーシェのあまりの頭の切り替えと行動の早さに、ディアスは付いていけず、もうあっと言う間に先程と同じ状況になった。

 

「あそこまでいっといて、あれで中断されるなんてたまったものじゃないよ。だからちゃんと最後までするのー♪」

 

『だ、だから待てっての…!』

 

「…嫌かい?」

 

ディアスに抱き着きながら、上目遣いで小首を傾げるアーシェ。

好きな相手に対してこれでもかと自分に甘えさせるし、そして自分も相手に甘えたい事を主張できるのは彼女くらいだろうか。

 

『ッ…!嫌とは言ってねぇだろ…!つーかお前からばかりじゃなくて…俺からもさせろっての…』

 

「わかったわかった。じゃあこうしようっか」

 

アーシェは近づけていた顔を一旦離し、そして互いに見つめ合う状態になる。

 

「僕と君、お互いにしようとするならいいでしょ?」

 

『意地でもお前もしたいんだな…』

 

「さっきみたいに、僕の方が先にしたいくらいなんだけどね」

 

これが僕の最大の譲歩だよ、とアーシェは付け加える。

 

『…何か、改まってこうすると結構恥ずかしいな…』

 

「ははは今更。…でも僕もそうだよ」

 

えへへと、眉を八の字に下げながらアーシェは笑う。

釣られてディアスも同じように笑う。

 

「ディアス…」

 

『アーシェ…』

 

見つめ合う二人、自然と近づく二人の顔。

そして重なる、二人の唇。

 

 

 

「…えへへ♪いいね、こういうの」

 

触れるキスの後、はにかむアーシェ。

 

二人の頬は赤く染まっている。寒さや暑さからではない。お互い、こんな事は初めての事だ。

誰かを好きになった事も、恋人になれた事も、キスをする事も。

 

『……そう、だな…』

 

ディアスは少し目を反らしながら呟く。だがその表情は、てれながらも、アーシェと同様に嬉しそうに見える。

アーシェは再び彼の腕に抱き着いた。言葉は交わさなかった。だけど二人は嬉しそうに、この幸せの時間を噛み締める。

 

 

 

しばらく堪能した後、アーシェが口を開いた。

 

「冒険者になっても、よろしくね。ディアス

 

『…何年先になるだろうな、冒険者になるの』

 

「色々準備必要だからね。でもそうだなあ…よし!3年、3年以内を目指そう!冒険者になる為の鍛練や覚悟、心構えもちゃんとしておかないとだからさ!」

 

アーシェは今からでもなりたいと言わんばかりに鼻を鳴らし、目をキラキラと輝かせている。

 

『覚悟、かあ…』

 

ディアスは少し考えるようにして空を見上げる。空からは雪が、静かに降り落ちてきている。

 

「そしてその準備期間の間に僕等の仲をもっともっと進めようね、フフフ…♪」

 

『??す、進めるってどういうことだ…?』

 

アーシェは楽しそうに、何かを企んでいるような笑みを浮かべる。

ディアスは“そういった知識”をまだあまり知らないので、浮かぶのは疑問符ばかりだが、彼女の表情からろくでもないものだろうとは感じている。

 

 

「あはは!今日はめでたく恋人になれた日なんだし、今はしないよ。“今”はね♪」

 

『…はは、もう本当に自由だよなお前は…』

 

「そんな苦笑いしなくても、君が嫌がるような事はしないから、ね♪」

 

『…それこそ嫌な予感しかしねぇよ、もう……』

 

 

 

そんな話をしながら、時間は過ぎていく。

いつもの二人の時間は、ただの幼馴染としてのものではなくなり、恋人としての、特別なものに変わっていた。

交わす言葉一つ一つが、アーシェにとって、より一層、とても大事で幸せなものになったのを、彼女は感じていた。

 

 

 

「そろそろ、帰る時間だね」

 

『あ?もうそんな時間か?こんな雪が降ってちゃ時間が分かりづらいな』

 

「冬は日の入りが早いからね。でもさっきより薄暗くなってきてるし、もう夕方だと思う」

 

額に手を当てて、空を仰ぐアーシェ。

そしてすぐに仰ぐのを止め、ディアスへと手を差し出す。

 

「広場出るまで手、繋ご?」

 

『何でだ?…って拒否してもするんだろ?』

 

「まあね、僕等もう恋人だもん♪」

 

『…改めてそう言うと、何か照れるな……』

 

ディアスはそう言いつつも、上着に入れていた手をアーシェの手へと伸ばし、繋いだ。

照れると言いつつも、その繋いだ手を強く握り、アーシェを引っ張るようにして前を歩く。

 

「と言いつつ結構強く握るね、君」

 

『う、うっせぇ…!ちゃんと言いたかったのにあんな風に言っちまって格好悪いだろ…せめてこれくらいさせろ』

 

「はいはい」

 

前を行くディアスの顔は見えないが、きっと照れていて真っ赤なのだろう。それを見られたくないんだな、とアーシェは思った。

 

(やっぱり、可愛いなあ君は)

 

いつもは自分が引っ張っていく側だが、こうして彼に引っ張られるのもまた、アーシェにとっては嬉しいものなのだろう。

 

 

大切で、大好きな、恋人なのだから。

 

 

 

 

 

雪の中に開いた、小さな恋の花。

その花がずっと枯れぬように、色褪せぬように――――――。

 

 

(ずっと、二人で咲かせ続けようね)

 

 

アーシェは改めてディアスの手をギュッと、握り直した。

 

 

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