その悲痛なる叫びは虚しく響き渡る―――――――――――。

 

 

 

 

幼き希望―見放された小さな希望―

 

 

 

 

「ミスミ……!」

 

躊躇いで止まった足がいつの間にか駆けだしていた。

一刻も早く、ミスミの元へと寄りたかったからだ。

 

「……ッ!」

 

キングが近寄ってみると、ミスミの姿はより惨いものだった。

両目の穴からは血が溢れるように流れ、腹部には小さく穴が空いていた。

彼が凭れていた壁には引き摺ったような血の痕が描かれている。 暗いと言っても今は昼間、嫌でも分かってしまう。

 

 

恐らくもう、彼は―――――――…。

 

「おい!ミスミッ! しっかりしろ!」

 

分かっている、だが呼びかけずにはいられない。 

ミスミの小さな肩を掴んで呼びかける。反応はない。

 

ならばと、ミスミの顔を両手で覆い、静かに顔を上げさせる。

両手で覆った瞬間の、僅かにしか無いその温もりが嫌でも伝わってきた。

 

キングは顔を上げさせて改めてミスミの両目を見る。 垂れている血の流れが、先程よりも少ない。

 

 

 

「ッ…! どうして…」

 

どうしてこの子なのだと、悔しさを顔に滲ませる。

 

                                          

 

 

―――――――……〜♪……

 

 

 

その時、微かに音が流れるのが聴こえて来た。足音などではなく、短い音楽のようだ。

 

「…? この音は……」

 

ゆっくりと、途切れ途切れで今にも消えそうなその音の発信源を探る。 

そしてその音の元の方へと首を動かす。

 

其処にあったのは、ミスミが買ってあの時に見せてくれた小さなオルゴールだった。

 

「あれは……」

 

そのオルゴールには、部屋の天井に空いた僅かな穴から陽が差して、光っていた。

あの時の美しい青い色をした宝石は、血によって赤く染まり、箱や蓋の部分には誰かが踏んだような汚れや罅が入っていた。

 

 

♪〜〜…?………♪…

 

「…ッ……!」

 

キングは意を決した表情になった。

そして、命が途切れそうになっているミスミの、抉られたであろう両目を治し始めた。

 

「(まだ死んでいないなら…せめて……)」

 

諦めに近い希望を抱きつつ、ミスミの眼を治す。

 

 

……♪…〜…♪……〜…?……。

 

その間も、オルゴールは小さく音を奏でていた。

 

 

 

『………』

 

「…! ミスミ…!」

 

眼を治して少しの後、ミスミの身体がピクリと小さく動く。

キングは改めてミスミの顔を両手で優しく覆い、自分の方へとゆっくり顔を上げ、向けさせる。

 

 

『…お、にい…さ…ん……?』

 

絞り出された掠れたミスミの声。輝きを失いつつある治した異色の両眼がキングに向けられる。

 

「ミスミ……これは…一体、何が……」

 

無理に喋らせるのは駄目だと分かっていても、誰がこんな事をしたのか聞かずにはいられなかった。

エース達が調べた通りだとしたら…こんな事をしたのは……。

 

確信を持てずにいた。否、認めるのが怖かったのかもしれない。

 

『…しちょ、うさんとね、ここにきたの…。 ここでいっしょに待とう、って…』

 

 

やはり、と確信と諦めがキングの心を怒りで満たしていく。 ――――だが

 

 

『…ぼく、“やくそく”だから、おにいさんをよびに行きたいって言ってたら…へんなひとたちが、きたの……』

 

「…? 変な、人達……?」

 

ミスミを引き取ると言ってきた大人達の事だろうか。だがミスミは人を見る目がある方だ。

それに、自分を引き取る相手の顔だって事前にレンギョウ市長も彼に知らせていた筈だ。

 

その彼が、“へんなひとたち”と呼ぶのは、違和感があった。

 

市長が、犯人ではなかったのか―――――――?

 

 

『しちょうさん…どこかにつれてかれちゃって…わからない…。

でもそのあと…すごい音がして……、ぼく、………』

 

「ミスミ……!」

 

ミスミの、辛うじて繋いだ瞳が、力無く閉じようとしている。

もう、彼の命は限界だった。

 

『…ごめん、ね…おにい、さん……。 

ぼくをみおくってくれるっていう…“やくそく”、まもれなくて……ごめ、ん…ね……―――――』

 

 

そう、ミスミは喋り終えて目を閉じて、微笑みながら、事切れた。

 

 

「…!? おい! ミスミ…ミスミ!!」

 

 

必死に呼び掛ける。自分の方へと引き寄せ、ギュッと力強く抱き締める。

もう、答える声は無かった。虚しく寂しく、響くだけだった。 体の冷たさが、同化するように沁み込んでいくようだった。

 

 

「ッ……!」

 

 

 

……♪……?〜……―――――――――。

 

 

 

寂しく響いていた音楽は、それから十数秒程流れ、そして途切れた。 同時に、音を奏でていた歯車がピン、と弾け飛んだ。

歯車は地面に音を立てて落ちた。 オルゴールは、ミスミの命と同調していたのかのように、もう音が流れる事は無かった。

 

「………」

 

キングは静かにミスミの目を閉ざす。

冷たくなった彼に、自分が着ていた上着を包むように掛けた。

 

そして、振り返る。先程から微かに感じ取っていた、その気配達に。

 

 

『…あらぁ、誰かしら勝手に上がり込んだ輩は』

 

其処に居たのは、派手な身なりの女性と、それを護衛するかのように彼女の両脇と背後に静かに佇む人間が複数居た。

 

恐らくコイツ等が、この女がミスミを引き取ると言い出した奴で、殺したのは、その護衛達(恐らく金で雇ったのだろう)だ。

 

 

「…お前が、やったのか……」

 

低い声でキングは口を開いた。静かに怒りを表情に出し、敵意を相手の女やその護衛達に向けている。

だがそんな事は意に介していないのか、女は涼しい笑顔で語り出した。

 

『あら怖いわねぇ、良い男が台無しよぉ、“騎士様”? それとも、貴方も売られたいのぉ?』

 

「……!」

 

この女が、エース達が調べていたあの悍ましい事件を仕組んだ張本人。

目の前にいるのは、あの時と同じく、“敵”だ。

 

『ああでも、その治す力とやらが無くなるのは嫌ねぇ。 

――――――私が産んだ時に抉り取った、ミスミの眼を治したのも貴方でしょ?』

 

「……!? お前が…ミスミを、産んだ…だと!? じゃあ、お前は……」

 

衝撃の事実に驚くキングに、女は浮かべた笑みを変えずに語り続ける。

 

『そうよぉ、此処に来た時に、ちょーっといい男が居たから引っ掛けたのよ。

まあ、その男もすぐに飽きて“外に出して”しまったけどねぇ。 私と身分の差が分かってなかったようだから』

 

身勝手な動機が語られていく。

 

『私こと、トレニアは生まれた時から何不自由無かったわ。 身分としては貴方達よりも上の上。

今回の事だって、ちょっとしたお小遣い稼ぎをしようとしてやった事よ。 お蔭で随分と貯まったわぁ』

 

それまで上機嫌そうに語っていた女――トレニア―――の表情が急に忌々し気に変貌した。

 

『なのにあの身分の低い卑しい男…子どもが出来たと分かったらずっと一緒に居ようだなんて下らない事を言い出したわ。

私はこの街に遊びに来ただけよ。 子どもが出来たのだって偶々。 子どもだって産んだらすぐに殺すつもりだった』

 

でもね、とトレニアはミスミの遺体がある方へと視線を向ける。その視線は蔑むような、とても母とは思えない表情だった。

 

『産んだその子の眼を見たらね、両目の色が違うのよ。 私のこの綺麗な蒼い眼と、あの男の眼の色を受け継いでいた。

あの男のだと思うと憎かったけど、同時に紫の色なんて貴重でお金になるんじゃないかって思ってね、死なないように取るのは大変だったわ。

取った後は処置して此処へ放置よ。 用が済んだらもう要らないもの。両目の色が違うなんて傍から見たら“化け物”だもの』

 

女の言い分は、聞いているだけで吐き気と怒りが込み上がって来る。 

怒りに震える手と身体を必死に堪え、女の身勝手な理由をキングは黙って聞いていた。

 

『それが気に入って、しばらくはこの街に滞在してみたの。

紫色の眼をした人間や状態の良さそうな人間は子どもだろうと大人だろうと“外に出した”わ。

そうして今回…あの子…、ミスミの番だった。 やはりね、邪魔なのよ。あの男との子どもだと思うと苛々する。で、今日殺したの』

 

トレニアと名乗る女の声は平坦で、冷たさしかなかった。

まるで今回のミスミの事も、日課の一つでしかない義務的なものでしかないとでも言うように。

 

『さっきのレンギョウって市長も面倒な人だったわ。 私がちょっと脅しただけで言いなりになっていた癖に急に反抗するんだもの。

“良い『素材』を提供すれば貴方の所の子どもは売らない”と言ったのに…ミスミは渡さない、なんて言うものだから、殺したわ』

 

 

「ッ……!」

 

ミスミが、市長が連れてかれてしばらくして大きな音がなったと言っていた。

恐らくその音は、市長が殺された、音だ。

 

身勝手過ぎる、余りにも。 自分が要らないと思ったら捨てる。それだけならまだどれだけ良い事か。

邪魔だから殺す、それが例え自分を愛した男でも、自分が産んだ子どもでも。 この女にとっては金目の“物”でしかないのだ。

 

あの時の、軍師の女と、同じだ―――――――。

ただただ自分の欲の為に、奪い殺す。 同情の余地も無い。

 

 

怒りに任せて言い出そうとしたその時、女が更に追い打ちをかける様に、理不尽に畳み掛ける。

 

 

『…折角、いいブローカーだと思ったのにねぇ……。貴方に会って変わったのかしらね。…貴方のせいで……』

 

「は……?」

 

トレニアの声が憎らしく、それでいてどこか矛盾した喜びのような声になり、キングの方を見据える。

 

『貴方のせいでレンギョウって男は死んだわ。

でも、貴方があの子の眼を治してくれたお蔭で、私はあの子を殺して、また目を売る事が出来た…。』

 

「何、言って……」

 

この女が、何が言いたいのか分からない。

問い詰めるようなその口調が、キングの心の中を踏み荒らしていくように感じた。

 

それは、彼の心だけでなく、あの過去の記憶をも刺激してくる。

 

『貴方があの子と出会って、私はこうしてお金を得られることが出来たけど、他の二人はどう?

貴方と出逢って、いいえ、出逢ったから、あの二人は死んだのよ。それは事実よ。

 

少なくとも、市長さんは、貴女に出逢わなければ死ななかったはずなんだから……ねぇ?』

 

ニタリと歪む女の表情。 

 

「…ッ…! 何が、言いたいんだ…!?」

 

 

フッと、嘆息めいた息を吐き、トレニアはその歪な笑みで、欲に濁った大きな蒼い瞳で、ゆっくり口を開いた。

 

 

 

『貴方が此処に来たから、あの子とあの人に出逢ったから、二人は死んだ。 

 

 

 

 

―――――――“貴方”という存在が、居たからよ――――――?』

 

 

「――――……ッ!」

 

 

 

 

身勝手な、と言い切る事が出来なかった。

少なからず、キング自身も心に引っかかっていた事だったからだ。

 

自分と関わってしまったが為に、能力を使ってしまったが為に、二人は殺された。

 

ミスミは、奪われた目を治してそして再び奪われ、今度は殺された。実の母に。金の為に。

もしかしたら治さずとも、彼は殺されていたかもしれない。だが、そんな事は些細な違いに過ぎない。

 

 

自分と出逢って、持っていた小さな希望を勝手に自分が更に膨らませ大きくさせたのかもしれない。

向けられた異彩の大きな、希望に満ち溢れた瞳。 引き取る大人達に彼なりの精一杯の贈り物をしようとしていた…。

 

“外”に、希望なんて最初から無かったというのに。

ミスミの抱いた希望は、間違いだったとでも言うかのように、小さな贈り物すら無残に壊されて、彼自身も殺された。

 

 

「(……俺、は…間違っていたのか…?)」

 

 

誰かの為に力を使う事が、誰かと出逢う事が、誰かに同情する事が、誰かに情を湧いてしまった事が。

 

全て、自分が居る事で、自分が何かを発した事で、全てが、壊れて上手くいかなくなるのか…?

 

 

自分なんて、居ない方が良かったのか―――――――――――――?

 

 

 

分からない。 

何が正しくて、何が悪くて、何をすれば正義で、何をすれば悪なのか、なんて、分からない。

 

 

自分は、何も、しなければ良かったのか?

 

 

分からない、わからない、わからない、分からない、わからない。

もう、何も、分からない。

 

 

 

全てが混ざり、黒く黒く、肥大していく。 

 

 

 

 

そして全てが、覆いつくされる―――――――――――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

『優しい騎士さん―――――――ありがとうねぇ〜?』

 

どこか嘲笑にも似た呟きと、女の虚ろで乾いたような笑み。

その口から紡がれる言葉は、キングにはもう、聞こえない。

 

『…? ねえ、聞いてるのお?』

 

 

顔を俯かせ、何かを呟いているキングに、トレニアは苛立ちを露わにしていく。

 

『ちょっと! いい加減何か言ったら――――――――』

 

苛立ちから、キングの肩を掴み、彼の顔を上げさせようと身体を揺らす。

 

 

 

「―――――――黙れ」

 

『――ッ……!?』

 

キングは、俯いたままトレニアを睨みつける。

その眼から光りは消え、口端はニタリと吊り上がっていて、そこには鋭い殺気だけがあった。

 

先程の彼とは、まるで別人だった。

 

 

『ひッ……!?』

 

 

トレニアは不気味がり、黙ってキングから離れる。

そして護衛達に、キングを始末するように命じた。

 

 

『気味の悪い…! どうせ最初から殺すつもりだったから丁度いいわ!

この“化け物”を…いえ、“死神”を始末しなさい!! 骨一つ、残しちゃ駄目よ!!!』

 

 

 

 

 

「……化け物に死神、か……」

 

化け物も死神も、かつてエースやジャッカルも言われてきた言葉だ。

人間には無いその強さと、得体の知れない不気味な存在という意味で吐かれた言葉。

 

キング自身は言われた事は無かった。だが、軍師の女が言っていた“神の子”という言葉も裏を返せば同じ事。

 

“人と違う”と、そういう事なのだ―――――――――――。

 

 

 

護衛の一人がキングの真正面から素早く距離を詰めて来る。

そして利き手に持っている得物をキングの胸元めがけて振り翳す。 だが―――――。

 

 

『――――!?……』

 

『え……!?』

 

 

トレニアは驚愕した。逆に護衛自身の胸元が、キングの武器によって貫かれたのだ。

その位置は丁度、人間の心臓部分だった。 貫かれた護衛は、そのまま声も発せず絶命して倒れた。

 

キングを始末しようとした周囲の護衛達は、突然の出来事にその近づく足を止め、得物を構える手も止める。

感じた事の無い、恐怖が彼等を襲ったのだ。

 

 

 

「―――――何を突っ立ってんだ?」

 

 

 

『ッ……――――――――!』

 

 

異様なまでの殺気が、空間を支配する。皆が一瞬怯んだ、その時だった。

 

 

『…!? え……!?』

 

トレニアは目を見開き、凍り付いた。

先程貫かれた護衛の死体が、足先から砂のようになっていっているのだ。

 

『あり得ない』、と言った表情で、残りの護衛達も地面に縛られるように足が動かないでいた。

実際に、人が砂のように等と言う現象は、人間の領域からすれば理解の範疇を超えている事だろう。少なくとも、“今”は。

 

 

「人間如きが、勝てると思ってんのか?」

 

貫かれ、消失していく“残骸”を、キングは蔑んだ目で躊躇なく踏みつける。

その顔は嘲笑と殺気が入り混じっている、そんな表情だった。

 

そしてその表情はトレニア達にも向けられる。

 

「何してんだ? 消すんじゃねぇのかよ、俺を。 なあ?」

 

キングは消えていく“残骸”を蹴り飛ばしながら挑発気味に吐き捨てる。

 

『ッ…! う、煩いわよ化け物ッ!  あんた達もさっさとコイツを殺しなさい!!』

 

トレニアは声を震わせながらも、大声で怯んでいる護衛達に命令した。

彼女は恐怖のそれよりも、キングの何もかもを侮蔑したような物言いと表情に、自身のプライドを踏みにじられた事を嫌がったのだろう。

 

『早く行きなさい! その化け物一人に何怖気づいてんのよ! 金が欲しくないの!!?』

 

必死の形相と大声に、護衛達は動かなくなっていた足を無理矢理動かしていく。

 

だが一度恐怖してしまった、もうその時点で遅いのだ―――――――――。

 

 

 

「遅ぇよ」

 

 

 

キングは砂と化した“残骸”を無造作に蹴り上げ、跳躍した。

 

 

その一瞬で、キングはトレニアへと距離を詰める。

 

 

――――その背に居る護衛18人程の頭や腹を、貫いて。

 

 

『………!?』

 

 

血も出ていない、だが意識は既に消え、折り重なるように一斉に護衛達は倒れていった。

 

 

「雑魚を何人揃えようが無駄なんだよ、この屑が」

 

消えていく“残骸”達を横目に見下すように一瞬見やった後、キングはトレニアの方を向き、睨みつけた。

 

『ひッ…!?』

 

 

押し潰される程の重力の如き威圧、溢れ出る静かで鋭く膨大な殺気、言葉に詰まりその場に座り込むには十分だった。

冷ややかな視線が突き刺さり、トレニアは動けないでいた。 それが自分との距離を詰めて来るのだから。

 

後数歩、という所でキングは立ち止まり、トレニアの顔に血を纏う得物を突きつける。

トレニアは小さく悲鳴を上げて、震える。

 

 

「金を持ってる奴がそんなに偉いのか? 助けようとしてる必死な奴がそんなに愚かなのか?

自分を純粋に慕う奴等の何が醜いんだ? お前を愛した男が、ミスミが、何をしたって言うんだ?

 

何で希望を与えた? 最初から連れ出す気なんて無かったんだろ?

どうして、そこまで人を見下せる? 所詮は金の力であって、お前自身の力じゃない癖に。

 

 

どうして自分と違うからって理由で、そんな簡単に人を殺して金に出来るんだ―――――――?」

 

畳み掛けるようなトレニアへの言葉。 

この街の市長が、この女を愛した男が、ミスミが、こんな奴に殺されたかと思うと、腸(はらわた)が煮えくり返る思いだ。

 

 

『な、何を、言って…るのよ……』

 

 

一人じゃ何も出来ずにこうしてガタガタと震えるだけの奴に、どうして。

 

こんな、奴に…―――――――――――。

 

 

「何もできない奴が、どうして簡単に他人の命を奪えるのかって言ってんだよ!! 聞こえねぇのか!? あ!!?」

 

 

吐き捨てる様な怒号の後、地面を力強く蹴りつける。

声と共に鳴り響く大きな振動。それは自然の怒りの如く、響いた。

 

 

『ひぃ…!! な、何よ…! あ、アンタだってたった今私の護衛達をこ、殺したじゃない!

殺人鬼が何を正論言ってるのよ! アンタみたいな化け物に、誰が―――――――――――――』

 

「………」

 

死神、化け物、殺人鬼。 

人で無い存在が言われ続ける言葉。人であっても、言われる言葉。それに何の違いがあるのだろうか。

 

 

少なくとも、ミスミが言われていい筈の無い、言葉だ。

 

 

「…ミスミは、何もしてねぇだろ。 何も悪くない奴から命を奪う輩が正論云々ぬかすんじゃねぇよ!!」

 

キングは右手を振り翳し、持っていた武器でトレニアの左肩を貫いた。能力(カウントダウン)を付与していない、物理的な痛みで。

その痛みがしっかりと伴うように、ゆっくりと引き抜いていく。 

 

 

『あああああああああああぁあぁぁあッ!!?』

 

 

トレニアは絶叫する。 今迄に出した事の無い叫びで。

貫かれた左肩には丸くくり抜かれたように穴になっており、其処から血が垂れ流しになっている。

 

血を止めようと必死に右手で左肩の穴を塞ぐトレニア。だがそれも、無意味な行動だ。

そんな女の行動を、キングは鼻で笑う。得物に付いた女の血を振り払いながら。

 

「情けねぇ声だな」

 

左肩を押さえて死に震えるトレニアに、キングは更なる追い打ちをかけ始める。

キングはトレニアの前髪を空いた手で掴み、俯かせていた顔を無理矢理自分の方へと上げさせた。眼を合わせる為に。

 

 

「眼、綺麗なんだってな?」

 

『ひッ…!?』

 

ギラリと光るキングの得物の切っ先。 その矛先は、トレニアの左眼に向けられている。

 

「アイツから、ミスミから一方的に奪っといてお前だけ何も無いってのは、おかしいよなあ?」

 

『ま、まって……まって……! ゆるして…』

 

体裁など考えずぐちゃぐちゃに涙を流し、キングへと許しを請うトレニア。息は浅く荒い。

これから彼にされる事が過ぎり、それに恐怖している。

 

 

ミスミにした事と、同じ事をされる、と―――――――――。

 

 

「許されてぇなら、それなりの代償を払いやがれッ!!」

 

 

そしてその悪い予感は当たり、トレニアの左眼に容赦なくキングの得物が深く突き刺さった。

 

 

『ぎあああああああぇえあああぁぁ―――――――――!!!』

 

 

目の部分から血が流れる。ゆっくりと、グチャグチャと、中を掻き混ぜられる。

痛みを感じない。それが恐怖を煽っていく。否、最早恐怖を通り越した何かが、トレニアの中にあった。

 

数秒眼の中を弄ったと思うと、キングは勢いよく得物を眼から引き抜いた。血が辺りに飛び散る。

 

『いッ…! あああ、あぁあ、あぁぁぁああ……あ…あぁ…!』

 

得物の切っ先には、血に塗れたトレニアの左眼が視神経が絡みつかせながら突き刺さっていた。

痛みを感じないようにと引き抜いたそのひしゃげた暗い窪みからは、血の涙が流れるだけだった。

 

「こんな物の為に、ミスミを……」

 

突き刺さった“ソレ”を見つめながら、悔しそうに顔を歪めるキング。

 

『あ、ああ…か、えして…! かえして…、私…は…まだ……』

 

ひゅーひゅーと息を鳴らしながら、よろよろとキングの足に縋り付くトレニア。

こんな惨めな姿になりながらも自分の欲望を、残った右目に宿していた。

 

そんな姿の女が、今のキングには非常に不愉快で仕方なかった。

刺さっていた左眼を地面に叩き付けて捨てる。叩き付けられた左眼はグチャリと音を立てて潰れた。

 

 

「代償払えって言っただろ。 お前のした事と比べればこれでも足りない位なんだけどな。

これ以上何かしようってんなら……――――――――――――死ぬか?」

 

 

『ッ――――!?』

 

 

静かに冷たく吐かれた言葉。ギラリと殺意を宿した金色の瞳が、トレニアを射抜く。

縋り付かれていた手を乱暴に蹴って突き放し、その蹴られた勢いのままトレニアは仰向けに倒れた。

 

「一体今迄どれくらいの命を食い物にしてきたんだろうなあ、お前は? 

…ミスミみたいに希望を持たせて、奪い落としてきた奴等だって沢山いるよな? その重さが、分かってんのか?」

 

『あ、ああ…な…に……を…』

 

トレニアにゆっくりと、近づいてく。キングの足音が重く響く度に、“残骸”達がパラパラと山を崩して落ちていく。

そしてトレニアを自身の眼下にある所まで近づくと、そのまま右足で何度も何度も、トレニアを踏みつけ続けた。

 

『ぐぁ…ッ! が、は…ああ…あ…』

 

トレニアから呻き声が漏れる。 

左眼を押さえていた両手は踏みつけられるのを止めようとしているのか、まともに動かせない手で、キングの足を掴もうとする。

 

 

「てめぇみたいな奴がッ! 自分の事しか考えねぇような屑が!! まともに死ねると思ってんのか!?

てめぇが踏み躙ってきた命達が!!てめぇが生きる事を望んでると思ってんのか!? 金が無きゃ何も出来ねぇ奴が!!」

 

 

キングはそう怒鳴りながらトレニアを蹴り続けた。

分かっている。こんな事をしても、奪われた命は帰ってこない。 こんなのは只の、憂さ晴らしだ。

 

偽善的で独善的な、只の我が儘だ。

 

 

あの時と、軍師の女を殺す時に過ぎった感情と、同じなんだ――――――――――――。

 

 

 

「はぁ…はぁ……!」

 

全てを吐き終え、肩で息をするキング。真っ暗になっていた思考が晴れていくように感じた。

それでもまだ、トレニアに対するどす黒い感情は、残っている。

 

「……」

 

未だに微かに肩を震わせて息をしている眼下のトレニアを見やる。

左眼を抉り出し、肩を貫き、何度も蹴り続けたにも関わらず、未だに生きている。此処まで来ると最早執念すら感じる。

 

 

「…そうまでして金が欲しいのかよ……」

 

カチャリと音を立てながら、両手の得物を振り翳す。その矛先は、トレニアの心臓部分だ。

 

 

「……死ねッ…!!」

 

 

此処までしたのなら、もうするべき事は一つだ。

キングは得物を振り下ろした。それはトレニアの胸を貫く、はずだった―――――――。

 

 

「―――――――キング!!」

 

 

振り下ろされようとしたその瞬間、エースが飛び込んできて、キングへと抱きつき、それを止めた。

 

 

「キング、落ち着いて…お願いだから」

 

「……!!」

 

エースのいつも以上に優しいその声音に、キングは完全に我に返り、世界が晴れた。

 

「…エース……?」

 

両手の得物が地面に音を立てて落ちる。 抱き着いているエースの目を見る。

 

 

「…優しい君が、こんな事する必要…無いんだ。無いんだよ…」

 

「…エース…。 でも、コイツは……!」

 

何故だか言葉が詰まった。 トレニアに対する黒い感情が、上手く言葉に出来なくなっていた。

代わりに込み上げるのは、小さな希望と命を失ってしまった悲しみだけだった。

 

キングの目から、涙が流れた。

 

 

「…コイツがやった事は君にとって許せない事だ。 殺したい気持ちだって分かってるつもりだよ。

でも、君がやる事じゃないんだ…。 コイツ等は僕とジャッカルだけでやるつもりだったけど…間に合わなくて、ごめん」

 

「ッ…! 何で、こんな…奴が……」

 

溢れ出る優しい涙は、止まる事が無かった。エースの肩に顔をうずめて震える手で抱き着き返す。

表情を隠そうとしているキングだが、震える声と身体で嫌でも自分が情けなく泣いているのかが分かる。

 

 

「……市長さんは、生きてるよ」

 

「……!」

 

「奇跡的に致命傷は避けてたみたいだったからね、ジャッカルが今連れて行ってくれてるよ。

 

……君の所為なんかじゃ、ないんだ。 君が、自分を責める必要なんてないんだよ――――――」

 

 

その言葉にまた、込み上げた別の感情と共に涙が溢れ出た。

 

 

 

 

キングはしばらく、エースの腕の中で声を上げて泣き続けた―――――――――――。

 

 

 

 

「…落ち着いたかい?」

 

「………」

 

黙ってキングは頷いた。エースは泣きはらした顔のキングを見て、どこかホッとした笑みを浮かべる。

いつもの彼だと、いつのも優しい彼なんだと、安心したのかもしれない。

 

 

 

「……さて、コイツの処分は僕が…って、あれ?」

 

エースがふとトレニアの居たであろう場所へ視線を動かすと、其処には何もなかった。

 

…いや、何も無かったわけではない。身体を引き摺った血の痕が、この建物の出入り口まで伸びているのだ。

 

 

「…ホントにしぶといね、あの人間……」

 

そう呟いた時、エースの肩に再び静かに重さが増すのを感じた。

 

「…キング……」

 

視線を戻すと、キングはエースにもたれ掛かり、寝息を立てていた。

今迄溜め込んでいた感情を吐き出し、張り詰めていた糸が切れた反動なのだろう。エースはキングの頭をそっと撫でた。

 

 

「…お疲れ様」

 

幼子をあやすように、エースは優しく囁いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『…はッ…はぁ…! ば、けもの…が…! 殺して、やる…! 治ったら、絶対に…!』

 

トレニアは地面を虫のように這いずりながら、恨み言を掠れた声で呟いていた。

正に生への、否、金への執念と言うべきか、トレニアはまだ生きていた。

 

『ばけもの…! ばけものが…! 絶対に…殺して……』

 

 

「そんな状態でよく言えるね、そんな事」

 

『……!? 何!? 誰よ……!?』

 

知らない声に、トレニアは声のする方へと何とか顔を上げる。

其処には橙色の髪と青い瞳を宿した少年が立っていた。――――ジャッカルだ。

 

 

「…人が人を売ってお金にするのっておかしいよねー?

何がそんなに君をお金に執着させるのか、理解できないんだけど?」

 

涼しげな笑みを浮かべてジャッカルは醜く這いずるトレニアの元へと近づいていく。

その左手に、大剣を携えながら。

 

 

「…君がキングにさせた事、許さないからね」

 

『ッ―――…!? ま、待って―――――――』

 

 

「待たないよ――――――――」

 

 

 

 

その大剣は無慈悲に振り下ろされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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数日後、トレニアの全ての罪状が、雪解けと共に街へと知れ渡った。 

自分の子どもを、兄妹を、友を、彼女の金の為に失っていたという真実は、人々を憤らせ、悲しませた。

 

一命を取り留めたレンギョウ市長はトレニアとの関係との関係を明らかにした。

批判は覚悟の上だった。覚悟の上で、彼は犠牲になった人々、そしてこれからこのような悲劇を二度と生まない為にと、奮闘していく。

その上で民衆が辞めろと言うのなら、別の形で償いたいと、語っていたという。

 

 

ミスミの遺体は、市長が責任をもって引き取った。 自分の墓の隣りに、眠らせてあげたいと、言っていた。

 

“家”の事も、検討し直す事になり、これから“家”がどうなるかは、キング達は知らない。

勿論、そこに居た子ども達の事も、知る事はもうないだろう。

 

 

 

キング達は街の外を出ていた。 雪が解けて先へ進めるようになった。もうあの街に居る理由がなくなったのだ。

 

先へ進まなくてはいけない。 道に残っている雪を踏みしめる様に、歩く。

 

 

「…仕方が無いとはいえ、市長がした事だって許されない。だけどその罪を償う心がある。生きる理由になったんだ」

 

「……」

 

エースの話を聞いているのかいないのか、キングは浮かない顔をして俯いたままだ。

 

「…キング……」

 

キングの様子を心配そうに後ろから見つめるジャッカル。

 

「……ジャッカル」

 

その様子を見たのか、エースはキングの隣りからジャッカルの歩の速さに合わせ、話し掛けた。

 

「…あの女がやった事は赦せないよ。人を騙して売っていた事実もそうだけど、キングを怒らせ悲しませた事が」

 

「エース……」

 

その想いはエースもジャッカルも一緒だった。キングは自分達にとって仲間であると同時に恩人でもあるのだ。

荒れていた自分達を見捨てずに止めてくれた、そんな優しい存在をあそこまでの怒りに駆らせた事が二人は赦せなかった。

 

「…どうして、あの市長とやらも消さなかったの? 

…脅されてたからって、大事な街の人間を売るだなんて……そんな、事…」

 

ジャッカルは自分が居たあの国の内情を思い出していていた。

汚いものだらけの、あの国を。 自分が全て壊した、あの国に少し似ていたのだ。

 

腐り切った国や兵士達も、その内情を知りながら、何もしなかった王も、全てが憎かったあの頃を――――。

 

「…君の居た所の王もきっと、どうしようもなかったんだと思うよ」

 

「……!」

 

ジャッカルは目を見開いて、エースの方を見る。

エースはそんな彼の視線を気にしていないのか、話を続けた。

 

「知った所で一人では何もできない。身近な存在ですら信用できない。そんなにまで其処は腐り切っていた。

…あの街の市長もあの女の事を知っていた。だけど何もしなかった。…いや、何も出来なかったんだ。

 

人間には僕達みたいな力は無い。周りの人間達が全てなんだ。 一人が気づいても正しくても、周りが変わらなければ意味がない。

今回の市長さんとやらは、それが出来なかった。 一人では、ね……」

 

「……」

 

あの王の最期の顔は、そういう事だったのだろうか。 

王であったのに、とジャッカルは王を憎んだし、その時の表情の意味が理解できなかった。

 

 

自分一人では変えられなかった、裏切ってしまってすまなかった。

…そう言いたかったのかもしれない。 今回の事件を通して、少しでもそれを理解できたのは、何とも皮肉めいている。

 

「……!」

 

道の脇に小さな花が咲いていた。雪に埋もれていたその花が、顔を出していた。

エースは何を思ったのかその花へと駆け寄り、花を手折るように摘んだ。

 

「? エース、それは…?」

 

ジャッカルは身体を少し屈めて、エースの手元を覗き込む。

 

「ああこれ? あそこで見た花と同じかなーって思ってね。 …ここをこうして…っと」

 

エースは摘んだ花の茎を輪に結び、花の指輪を作った。

 

「よし出来た。キングに渡してこよーっと」

 

「…あ! 待ってよー!」

 

そしてそれを持ってキングの隣りへと歩を速める。

突然駆けだすエースの後をジャッカルは慌てて追った。

 

「キーング」

 

「…? どうした、エース?」

 

エースはキングの左隣に立ち、彼の顔を覗き込む。

やはりその表情は晴れてない。無理もない事だが。

 

「(恐らく、自分を責めてるんだろうな)」

 

自分が出逢ってしまったから、と。

 

「(キングに出逢わなくてもきっとあの子はあの女に殺されていただろう。気の毒だけど)」

 

でもそんな事は彼の前では言えない。 彼も恐らく、それを分かっているだろうから。

 

「ちょっと手、出して」

 

「……?」

 

キングは言われるがまま黙って左手をエースへと差し出した。

その左手に、いつもあった花の指輪は枯れ落ちてしまったのか、外しているだけなのか、その指には無かった。

 

エースはそっと優しい彼の手を両掌で包む。

そして、かつて指輪があったその指に先程作った花の指輪を通した。

 

「…! これ、は……」

 

指に通されたその指輪の花は、あの時ミスミと見つけたあの花だった。紫色の、小さくて綺麗な花。

 

「…道脇に小さく咲いてたんだ。綺麗だからちょっと摘んで作ってみたんだよ。

……寒いのに強いよね、その花。 小さいけど雪が解けたからか花びらがキラキラしてさ、綺麗でしょ?」

 

「……」

 

キングはそっとその花に触れた。 陽の光が花びらの水滴に当たり、輝いている。

ミスミの眼の色と同じ色だった。 小さな希望に満ちた、綺麗な紫色。

 

 

「…そう、だな」

 

小さく、呟いた。 

キングの表情は少し、笑っているように見えた。

 

 

「…さ、行こう。 最後の1人、早く見つけないと」

 

エースはキングの左手を握り、微笑みながら言った。 

そしてそれまで黙って二人の様子を見守っていたジャッカルも、キングの右手を握った。

 

 

「…君にばかり、背負わせないから…」

 

ぎこちなくも優しい笑みを浮かべながら、ジャッカルは言った。

 

「…僕等が護る、優しい君のままでいてほしいから」

 

 

「…エース、ジャッカル……」

 

 

握られた二人の手を、キングは握り返した。3人で手を繋いでいる。

 

 

「…ありがとう」

 

 

 

 

 

 

小さく微笑み、そう優しく呟き、前を向いて一緒に歩き出した―――――――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ミスミソウ(三角草、又は雪割草)…花言葉は『自信』、『忍耐』、『内証』、『優雅』、『高貴』、『悲痛』、『少年時代の希望』、『あなたを信じます』。

 

レンギョウ…花言葉は『言いなりになる』。

 

トレニア…花言葉は『欲望』。

 

 

 

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